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  • 古典・現代文を解りやすく解説してしまう、少し変なサイト 2007年05月

    ~ボツヂル古文・漢文・現代文~

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    動詞の活用・古文単語のポイント 1

     
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    高1の一次考査の古文問題は、お決まりのパターンが多い。

    本当に大事なことは「テストに出ない」 ( ̄_ ̄;) 」

    「古今集」の編集長・紀貫之の業績は前に書いたけど、

    次を受け継ぐのが藤原定家(ふじわらのさだいえ)だが、

    この人は「新古今集」の編集長で、やはり日本語の恩人と言える。

    仮名づかいは時代や人によって、まちまちなのに、教科書の表記は ある決まりがあるだろ。

    あれは、藤原定家が示した、いわゆる「定家仮名遣い」を仕立て直した

    契沖(江戸の国学者)の仮名づかいなんだ。

    貫之と定家の2人がいなかったら、

    明治維新のとき、新日本語は「英語」になっていた確率が少なからずある(ホントの話だぞ)!

    もちろん、こんなことは「テストに出ない」。(知らない国語教師すらいるからにぃ)


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    で、高1の一次考査で問われるのは

    1・古典文法・動詞

    2・古文単語・古今異義語

    3・教科書の作品(説話が多い)

    なんていうレベルに落ち着いている。ポイントをあげていこう。


    1・活用を覚えるのは、特殊な変格活用からやったほうが頭に入りやすい。

    カ変・ナ変を、まっ先に覚えよう。3つだけだ。

    サ変は複合動詞になる事が多い。恋愛す・勉強す・挫折す・みたいなカンジだ。


    上一段は、「ヒヰキニミル」とか「キミニイヰヒ」で暗記、わかるよね。

    上二段は、「老ゆ」「悔ゆ」「報ゆ」の3語がテストで問われるぞ。

    どれも「ヤ行」で活用だから、「やいゆえよ」だぞ。「やゐゆゑよ」と間違うヤツが多い。


    下一段、「蹴る」一語。「け・け・ける・ける・けれ・けよ」と声に出して体で覚える。

    下二段で出るのが、語幹のない「得」「寝」「経」(う・ぬ・ふ)

    余力があれば、「植う・飢う・据う」の3語も覚える。こっちは「ワ行」で「わゐうゑを」だぞ。

    四段は、いちいち覚えなくても感覚で分かる。

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    2・古文単語は古今異義語になっているものと、現代語には無いものが出る。

    「おどろく・ののしる・なかなか・やがてetc.」 

    現時点では、教科書で使われている意味だけを暗記すればいい。


    3・教科書の作品

    全訳を覚えようとしても、文法知識が限られているから、現時点では不可能だろう。

    ピンスポット的に覚えた方がいい。

    「児のそら寝」なら、「待ちけるかともぞ」と「な 起こし奉りそ」が必ずといっていいほど出る。

    「も・ぞ」・・・「すると困る」

    「な~そ」・・・「~するな」

    模試やセンターでもよく出るポイントだ。

     
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    文法 | コメント(0) | 2007/05/31(Thu) 16:37:34

    『更級日記』

      

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    (菅原孝標女を演じるなら黒川芽衣かな)


    「更級日記」は、源氏物語に憧れ続けた少女時代から、夫と死別して尼生活を送る40年間のことを

    回想して書いた、美しい作品だ。

    大学生の時、「更級日記」を講義していた教授が、いつもこの本を懐に抱きしめるようにして

    歩いておられたが、その気持ちはよくわかる。

    平安文学を読んだ中で、一番いとおしい気持ちにさせてくれたのは、この作品かも知れない。


    登場人物は「母なる人」とか「姉なる人」といったように固有名詞をさけて表される。

    日常生活の中に、夢や幻が、美しく・はかなく交錯していく文学少女日記だ。

    ひとつ忘れてはならないこと(テストには何故か出ない)は、「更級日記」の成立年代と、

    仏教でいう「末法到来」が重なっているということだが、

    この話は長くなるので、後に譲る。


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    さて、作者が念願の「源氏物語」を手に入れる件( くだり )は、いつ読んでもすばらしい。

    「源氏の50余巻、ひつに入りながら・・・得てかへるここちのうれしさぞ、いみじきや。

    はしるはしる、わずかに見つつ、心も得ず心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、

    人もまじらず、几張のうちに打ち伏して、ひき出つつ見るここち、后の位も何かはせむ」

    スピード感のある名文なので、暗誦することを薦める。意味は、ふたとおり考えられる。

    「源氏物語五十四帖、櫃に入ったままそっくり・・・手に入れて帰るときの嬉しさは、

    たいへんなものだった。

    (今までは) 飛び飛びに、読み読み (笑)して、話の筋も納得いかず、

    じれったく思っていた源氏を、第一巻から

    たった一人で、几張の中で寝転んで、櫃から取り出しながら読む心地は、

    皇后の気持ちも何するものぞだ」

    あるいは

    「・・・はやる心で、ちらちら見ながら・・・(はしるはしる、わずかに見つつ)のところだぞ。」


    面白いことに、この文学少女は「夕顔」や「浮き舟の女君」がお気に入りだ。

    源氏に登場する女性の中でも、特に薄幸な、この二人のようになりたい、みたいなことを すぐあとに書いている。

    今風に言えば、

    「出生の秘密があって、難病にかかっていて、結ばれざる人に恋している大映ドラマのような

    ヒロインになりたい」というわけだ。

    天皇の后よりも悲劇のヒロインを選ぶのが作者・菅原孝標女(たかすえのむすめ)らしい。

    ただし、末摘花(すえつむはな・ブスだったんです><;)を出さないところなどは、しっかり少女してい

    る。


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    (姉妹で大切にしていたネコ殿は、屋敷とともに夜の火事で亡くなってしまうんだ。

    全体に末法の無常観が流れる傑作文学だ)


    源氏を手に入れた時、彼女は、夢に出てきた黄色い袈裟を着た僧侶に

    「そんなものを読んでいないで、女人成仏を説いた法華経巻きの五を読みなさい」

    と諭されるが、物語に夢中になって従わなかった。

    彼女は「いと、はかなく、あさまし」 (とっても他愛もなく、あきれ果てた少女時代だった)と回想して

    この章の締めくくりにしている。


    ////////////////////////////////////////////////////////////////////////
    日記文学・平安 | コメント(0) | 2007/05/25(Fri) 17:12:27

    「項羽の最後」・項羽本紀 『史記』より 2

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    さて、垓下に立てこもった項羽たちは、周囲を漢軍と諸侯の軍に取り囲まれている。

    前方の韓信の30万軍をはじめ、中央には劉邦の軍がいて、どうにもならない。

    夜、四方を囲む漢軍の陣営から歌声が聞こえてきた。

    漢の国の軍隊なのに、みな楚の国の歌を歌っている。

    これは、項羽の国である「楚」の国の人間の多くが寝返って漢軍についたことを意味する。

    「四面楚歌」を聴き、項羽は敗北を意識した。

    これも張良の戦略と言われている。


    その夜、項羽は、最後の酒盛りで、

    愛馬「騅(すい)」と、愛人「虞(ぐ)」にエレジー(哀歌)を捧げたあと、

    暗闇の中、包囲網を突き破って馬で駆ける。

    従ったのは800騎の兵たち。


    進路を東にとり、東城についた。

    追っ手と戦って騎兵は減り、

    この時すでに、28騎しか残っていなかった。

    追っ手の漢軍は、数千騎。

    川の渡し場に船を用意している者がいた。

    「どうか大王様、急いでお渡りください。いま、私だけが船を持っています。

    漢軍がやって来ても、渡る方法はありません。」

    項羽は、笑って答えた。

    「天が私を滅ぼそうとしているのに、どうしてそれに逆らって渡ろうか。」

    項羽は、その男に愛馬を託すと、兵を下馬させ短剣での接近戦をさせた。


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    項羽ひとりで、数百人を仕留めたが、自らも十数ヶ所の傷をおった。

    振り返ると、敵の騎兵隊長の呂馬童(りょばどう)がいた。

    「おまえは、私の幼なじみではないか!」

    呂馬童は顔をそむけると、

    「ここに項羽がいたぞ。」と傍らに告げた。

    項羽は観念した。

    「私の首には、莫大な賞金がかかっているそうだな。

    おまえに、恩恵を施してやろう。」

    そう言うと、項羽は自ら首をかき切って、自決した。


    教科書の文は、ここで終わっていると思うが、その続きはこうだ。

    漢軍の騎馬兵たちは、項羽の死体に群がり、亡骸の奪いあいをする。

    同士討ちで十数人の死者がでた。

    項羽の亡骸は、5つに引き裂かれ、それを手にした呂馬童たち5人は、

    「楚」の国を5分割して与えられ、諸侯になった。

    5つの肢体を合わせると、項羽のそれに間違いなかった。


    ・・・これが司馬遷の『史記』の記述だ。

    すごいだろう。


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    *句法のポイント*

    1・「我なんぞ渡ることをなさん」 どうして江を渡ろうか・反語

    2・「縦ひ彼言はずとも、籍 独り心に愧ぢざらんや」 

    もし彼らが口にしなくても、どうして私は心に恥じずにいられようか・仮定+反語

    3・「すなわち騎をして、皆馬を下りて歩行せしめ」

    そこで、騎兵を皆、馬から下りてあるかせ・使役

    *使役はテストで特に狙われる。送り仮名は、必ず「~しめ」とか「~しむ」にしないと点にならないので注意だ。


    ///////////////////////////////////////////////////////////////////////
    中国の思想・歴史書 | コメント(0) | 2007/05/25(Fri) 17:10:50

    「鴻門の会」・項羽と劉邦 『史記』より 1

      

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    万里の長城を作った秦の始皇帝は、「北斗の拳」でいえば、

    ラオウのような恐怖政治で中国全土を支配した人物だった。

    人民を治めるために、人民が震えあがるような刑罰を行使した。

    書物は焼き払う法律を作り、政治に口出しする460余人の学者を生き埋めにした。


    その始皇帝の天下は、あっけなく終わり、

    次に天下を取る者の攻防が繰り広げられていた時代に出た二人のヒーローが項羽と劉邦だ。

    西洋では、ローマ帝国がマケドニアやカルタゴと激しく争っていた紀元前の物語である。


    大本命は楚の国の項羽であった。

    劉邦は、離れた2番手でしかなかった。

    「鴻門の会」の時の軍勢は、項羽軍40万に対し、劉邦軍は10万。

    ところが、様々な「運」だとか「二人の性格」が絡み合い、

    まるで、天が項羽を退け、劉邦を選んだような結末になっていくのである。


    さて、始皇帝亡き後の秦国を制圧するには、

    函谷関(かんこくいかん・軍事上の重要な関所)を占領する必要があった。

    項羽より先に、函谷関を占領してしまった劉邦は内部の裏切り者(曹無傷)に

    「劉邦は、関中の王になるつもりだ」と讒言される。

    怒った項羽は、劉邦の軍を撃とうとする。


    そこで、劉邦の参謀(戦の作戦を作る人)である張良(中国史上最高の天才軍師)は、

    「劉邦は、関中に乗り込んで、項羽将軍をお待ちしていたのです。

    函谷関を守備させたのは、他の盗人の出入りを防ぐためでした。」

    という仲直りの飲み会を企画した。

    これが「鴻門の会」だ。


    項羽の参謀であった范増(はんぞう・亜父とは父に次ぐほど尊敬に値する人の意)とて天才である。

    張良の作戦も劉邦の資質も見抜き、宴会の席で劉邦を殺してしまえと項羽に三度合図するが

    まぁ、いいではないかと、余裕しゃくしゃくの項羽は応じない!

    そうこうしているうちに、劉邦のボディーガード樊噲(はんかい)はやって来るし、

    肝心の劉邦は、便所に行くと言って席を立ち、そのまま無事に帰ってしまった(これも張良の作戦)


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    なぜ、「鴻門の会」が重要な出来事なのかといえば、

    ここに二人の運命を左右する予兆が書かれているからだ。

    簡単に言えば、項羽は自分の力を過信しすぎた。

    それに対して劉邦は、情けないと思えるくらい張良の案に従う。

    「自分を過信した人間」と「衆知を集めた人間」の差を、史記の著者・司馬遷は克明に語っていく。


    劉邦が帰ってしまった後、范増は怒りをあらわにして、

    おきみやげの玉斗(酒をすくう杓子)を剣で突き割り、

    「ええい、青二才め。いっしょにやっておれんわ!・・・わしらは、やがて奴の捕虜になるだろう」と吐き捨てた。

    剣舞をした項荘の失敗を、なじるかたちで項羽を非難したセリフと言われている。

    范増は、こののち、項羽のもとを去る。

    後に「四面楚歌」の舞台になる垓下に立てこもった時には、

    項羽の軍は、わずか11万だけになってしまうのである。


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    中国の思想・歴史書 | コメント(1) | 2007/05/25(Fri) 17:10:07

    『土佐日記』 ・ 「門出」


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    『土佐日記』 を理解するにはコツがいる。

    ひとつ目は、平安前期には、まだ「かな文字文芸」が認められていなかったため、

    紀貫之はギャグを連発し、茶番劇を装ってリリースしたということ。

    これが分かっていないと、冒頭から読み間違う。


    「おとこの人も書くトカ聞いてる(かな書きの)日記というものを(ゲラゲラ)

    おんなも、やってみようと思って、やるんだよ(ゲラゲラ)」

    この書き出しの構想には、ずいぶん苦労したと思う。

    普通なら男子たるものが、日記を仮名書きで書くというだけで眉をひそめられた時代である。

    どうしたら、批判をかわして受け入れられるのか。

    貫之は、ギャグを使うことにした。

    そして、成功するのである。


    「古今集の編集長は、お笑い系の人だったんだ~」

    はじめは、それだけの認識しか、なされなかったかも知れない。

    だが貫之の英断は、のちの「蜻蛉日記」や「和泉式部日記」を生む土壌を作っていくことになる。


    二つ目は、ギャグ日記の体裁を取りながらも、『土佐日記』の中軸を成しているのは、

    出張先の土佐で亡くした女児を想う気持ちだという事。

    当時の常識では、男が書くべき内容ではない。

    この無常観は、のちに「もののあはれ」となって『源氏物語』で大輪となって花開く。


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    さて、本文を少し読んでみよう。


    「それの年の師走のはつか余り、ひとひの日の戌の時(夜の8時)に門出す」


    出発したのは、夜8時、オカシイと思った人は気が利いている。

    電灯もなく、夜行バスもないのに、何が悲しくて冬の夜に出発しなければなかっったのか?

    そう、これは「方違へ」(かたたがえ)といって、出先が不吉な方角に当たる場合、

    仮の宿で一泊して方角を変え、あらためて朝に出発しなおす当時の習わしだ。

    たいがいは、近場の女ともだちの家に泊まった。


    「・・・はつかあまりふつか、和泉の国までと、平らかに願立つ」

    旅の無事を神様に祈願しているんだが、通過点の和泉の国までしかしていない。

    これは神様には、もともと「なわばり」があって、海の神・安産の神・受験の神と、

    用途に合わせて別々に祈願するという理由から。


    「藤原のときざね、船路なれど、むまのはなむけす(ゲラゲラ)」


    船旅で、馬に乗らないのに、馬の鼻向け(餞別)をしてくれた、というオヤジギャグ。

    これから沢山でてくるギャグにとらわれると、土佐日記の本質を見失うぞ。


    「・・・潮海のほとりにて、あざれあへり(ゲラゲラ)」


    「あざる」は掛詞で、「ふざける」と「腐る」の意味がある。

    「海のほとりで、(防腐剤の塩があるのに)腐って、ふざけあっている」と訳せばいい。


    短い冒頭の文だけでも、当時のしきたりや貴族の暮らしがよく分かる。

    古典を読むには、知識だけではダメで、想像力がものを言う。

    誰かが転勤するとなると、知らない人までやって来て大騒ぎする。


    上流貴族(大臣クラスと中納言まで)

    中流貴族(大弁・中弁・少弁と少納言まで) 読み方は各自工夫して読んでくれ。

    ちなみに中弁は「ちゅうべん」と読む。

    ココまでが「殿上の間」(でんじょうのま・天皇のリビングルーム)に入れる貴族だ。


    ついでに言っておくが『枕草子』を書いた「清少納言」の位は「少納言」ではない。

    「少納言をしている清さんの奥さん」という意味で「清・少納言」と呼ばれていただけだ。

    当時の女性の呼び名は、そんなものだった。


    下級貴族とは六位以下で、殿上の間に上がれない連中のこと。

    蔵人(くろうど)だけは、天皇の付き人係りなので、例外的に殿上人だが、

    「あやし」「いやし」「いふかいなし」の下衆の者といわれるのが、このクラス。

    これら身分の上中下すべての者が酔っ払って、じゃれあい、まことに見苦しい送別会をしたわけだ。

    まあ、古今東西の貴族(金と権力を持った俗人)は、みな似たような行動をする。


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    文法上のポイント

    助動詞には、ふたつの「なり」があって、よくテストで問われる。

    「男もすなる」・・・伝聞・推定の「なり」と、

    「してみむとてするなり」・・・断定の「なり」だ。

    見分け方は、上にある言葉でする。

    どちらもサ変動詞の「す」が上にあるけども、

    終止形の「す」の下には伝聞・推定の「なり」が来る。

    連体形の「する」の下には断定の「なり」が来る。

    覚え方は、「終・伝・ナリ」と「体・断・ナリ」と暗記すればいい。

    ただし、ラ変動詞の連体形が上に来たときは例外で、

    伝聞・推定の「なり」になる事も、余裕があれば覚えておこう。


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    日記文学・平安 | コメント(3) | 2007/05/22(Tue) 23:28:03

    古今集の和歌あれこれ

     
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    とりあえず、訳・鑑賞・解説してみよう。


    「世の中に 絶えて桜のなかりせば、春の心は のどけからまし。」 在原業平(ありわらのなりひら)


    (口語訳) 世の中に、まったく桜が無かったら、春の心は、のどかであったろうにね。

    (鑑賞) せっかく咲いた桜の花が、散ってしまうのが気がかりで、春の人の心は忙しない。
    いっそのこと、桜が全くなかったら、春はのどかだったのになぁ。
    と言いながら、春のいちばん気になる風物・桜の花を称えた歌。

    (解説) 作者の在原業平は、「昔、男ありけり~」で始まる『伊勢物語』の主人公ではな


    「えっ?」と思った人も多いだろうが、
    『伊勢物語』は業平とは無関係の創作だというのが古文研究の定説になっている。

    和歌の意味を考えるときは、一応「歌合・うたあわせ」をイメージしておいた方がいい。
    ほとんどの和歌は、単独で作られたものではなく、歌遊びの例会の席上で「前の人の歌」を受けて作っていく。
    だからこの和歌は、「桜の花が散ることに、心が落ち着かない」みたいな歌を受けて作ったものと想像できる。

    31音の中に「の」を4回も使った業平の本心は何だろう。
    桜が散っても「のどかな春」を強調したかったのかも知れない。

    (文法事項) 「せば~まし」・よく問われる反実仮想の表現。
    型どおり「もし~だったら~だったろうに」と訳してしまえばいい。


    「ひさかたの 光のどけき 春の日に、しず心なく 花の散るらん」 紀友則(きのとものり)


    (口語訳) 光がのどかな春の日に、(どうして)落ち着いた心もなく花は散っているのだろうか。

    (鑑賞) 春の、のどかな日差しの中で、どうして桜のは、はらはらと花びらをちらすのだろうか。

    (解説) これも「の」を4つ使っている。
    業平の歌と並べると、「の」x4効果をイメージできるだろうか?
    古今集で、ただ「花」と出てきたら「桜の花」、「花の香・匂い」なら「梅の花」と覚えてしまえばいい。

    (文法事項) 「ひさかたの」は、「光」にかかる枕詞。
    枕詞の見分け方は「無くても意味が通じる5文字のコトバ」でかまわない。
    枕詞は、訳さない。
    基本的に初句にある。
    いちいち覚える必要は無いぞ。感覚で判るようになってくる。

    「らん」は現在推量・連体形。
    表記は「らむ」なので、そのまま「RAMU」と発音するショウモナイ教師陣が多いが、
    マネしないように。


    「五月(さつき)待つ 花たちばなの 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする」(詠み人知らず)


    (口語訳) 五月を待って咲く橘の花の香りをかぐと、昔親しかった人の 袖の香りがする。

    (鑑賞) 上のとおり。名作ですね。
    誰もが「自分の気持ちを歌っている」と感じ入るるものを、名作と呼ぶ。

    (解説) 「詠み人知らず」とは、誰の歌か判らないの意味ではなく、「殿堂入り」の名作と考えた方がいい。
    「詠み人知らず」と評価される歌を詠むことは、今でも歌人の憧れである。

    アロマは、平安時代の常識で、焚き込めた香の匂いイコールその人のアイデンティティーでもあった。
    以前、家に行くと、いつも香を焚いて歓迎してくれた女性がいて、
    その時は「へぇ~」っていうカンジだけだったんだが、
    会えなくなってからは、同じ香りに出会うたび、胸がきゅーっとなる(;;)
    今でも、その香のにおいをかぐと彼女のことを思い出すのだから、この歌の想いはよくわかる。

    古典の解釈には5感を大いに働かせることが大切だ。


    「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども、風の音にぞ おどろかれぬる。」 藤原敏行(ふじわらのとしゆき)


    (口語訳) 秋が来たと、目にははっきりと見えないけれど、風の音で自然と気が付いた。

    (鑑賞) 夏の終わりを、風の音で、ついつい感じてしまった藤原敏行だ。
    この歌の要は、結句の「おどろかれぬる」。
    「おどろく」は「はっと気づく」の意。
    「れ」は、ここでは自発の意味になるので、「自然に」トカ「ついつい~」と訳さないと点を取れない。

    この和歌を昭和風散文詩に展開すれば「ちいさい秋みつけた」という童謡が出来たりする。

    (解説) 古今集をひと言でいうと「季節の細やかな移り変わりを和歌で表現したもの」と言える。
    恋の歌よりも、季節や自然に重きがある。

    「古今集の特徴・技巧的、優雅、理知、観念、たおやめぶり」と覚えても、
    テストでゴミのような点数を取ること以外には役に立たないだろう。
    古今集の通読すらした事のないベテラン教師連中が、講義をし、
    テスト問題を作っている(コピペしている)教育界・受験産業界の現実を、
    若い君たちは、ゆめゆめ忘れてはならない。

    だから、自主学習なしに、国語力が身につく訳がない。
    文学作品は、もっと、自分の感覚を信じて、ストレートに受け止めた方が面白いし、後から役に立つ。
    初めは間違った解釈をしていても、やがて正しい解釈が出来るようになる。
    その方が、結局は自分のためになるんだ。

    (文法事項) 「る・らる」には「受身・尊敬・自発・可能」の4種がある。
    「自発」の見分け方はカンタンだ。
    「心情表現」が一緒にあったら、自発にとればいい。
    ここでは「おどろく」が心情語。

    係り結びは、4句目の「ぞ」を受けて結句が「ぬる」という連体形になっている。


    「きりぎりす いたくな鳴きそ。秋の夜の ながき思いは 我ぞまされる。」 藤原忠房(ふじわらのただふさ)


    (口語訳) こおろぎさん、そんなに鳴かないで。秋の夜の、長い嘆きは私の方が深いのだから。

    (鑑賞) 秋の夜長に、好きな人のことを思っている。
    話したい・・・あなたは今、何をしてるの?
    そばにいたい・・・あなたは今、誰と一緒にいるの?
    悲しんでいるうちに虫の声も小さくなった。もう夜明けが近いよ。

    スピードの名曲「熱帯夜」の男性バージョンだね。
    こっちの方が1000年前なんだけど。

    (解説) 2句切れのほかは特になし。わかりやすい歌だ。

    (文法事項) 2句目「な鳴きそ」は「な~そ」で、「~するな」の意味になる。
    訳は、そのまま「鳴くな」とすればいい。

    「な~そ」や「せば~まし」の「な」・「せば」などを「呼応の副詞」と呼ぶ。
    入試必修項目事項なので、絶対忘れないように。


    「花の色は うつりにけりな。いたずらに わが身世にふる ながめせし間に。」 小野小町


    (口語訳) 花の美しさは、あせてしまったなぁ。
    むなしい長雨が降り続いていた間に、恋愛にかまけてもの思いに耽っているうちに。」

    (鑑賞) 花の色=女性の美貌・作者のいちばんキレイだった時
    むなしい長雨は、実らなかった恋とも、つまらなかった男との恋とも取れる。

    (解説) 4句目の「ふる」は「経る」と「降る」の、結句の「ながめ」が「眺め」と「長雨」の掛詞。
    同時に、「降る」と「長雨」が縁語になっている。

    この歌を引き合いに出して「古今集は技巧的でうんぬん」と解説されることが多いが、
    小野小町は、技巧を振りかざしたくてこの歌を詠んだのではあるまい。


    (文法事項) 掛詞が入ってきた時の訳し方は、両方とも分かるように訳さなくてはならない。
    「一人で、どんべえ、すすり泣き」という文でも、
    「ひとりで、どんべいを啜りながら、すすり泣きをする」と、いちいち訳さなくてはならない。
    古文の掟みたいなものだから、割りきった方がいいぞ。

     
    日記文学・平安 | コメント(2) | 2007/05/16(Wed) 20:49:22

    古今集と紀貫之  

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    kuriyama_c30006.jpg


    古今集・かな文学に生涯を捧げた紀貫之


    女性が平安の文学を支えたと書いたが、

    その源動力になったのは、紀貫之の「かな文字大運動」だった。

    日本語の恩人である。


    最近ようやくテキストが学校で使われるテキストにも、万葉がなが載るようになったので

    知っている人も多くなった。

    暴走族が使う「死苦夜露」のような「当て字」が万葉仮名だ~(爆)

    当時の日本語には、文字がなかったので、中国文字を使っていた。

    だから、「万葉集」は、唐風文化であり、国風文化ではない。


    「ひらがな」とは、この中国文字を崩して簡単にしたもので、

    「女の使うレベルの低い、卑しい文字」とされてきた。

    日本社会では江戸時代の終わりまで「学問」といえば、漢学・漢文学のことだったのである。


    ところが紀貫之は、「ひらがな」が素晴らしいものに思えてしょうがなかった。

    和歌を「ひらがな」で書いたら、日本独自のものが出来るにちがいない。

    日記を「ひらがな」で表現すれば、世界がどんどん広がっていくにちがいない。


    貫之は、画期的な前衛文学日記を、ひらがなで書いた。

    それが「土佐日記」だが、その話は、あとで書く。


    「古今集」は、天皇の命令で作られた和歌集である。

    勅撰和歌集の「勅」とは、天皇の命令のことだ。

    史上初の勅撰和歌集を、編集長であった紀貫之は、ひらがなで作ってしまう。

    想像を絶した労苦が幾つもあったにちがいない。


    だから「古今集」には序文が2種類ある

    通称、真名序と仮名序。真名序は、漢文の序文だ。

    仮名序は、もちろん貫之が書いた。

    たいへんな名文なので、中高生の皆には是非読んで欲しい。


    「古今集」は、微妙な四季の移り変わりを楽しむように、歌が配列されているんだ。



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    日記文学・平安 | コメント(0) | 2007/05/16(Wed) 20:47:31

    与謝野晶子について

     
    bousi7512.jpg


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    さて、和泉式部は千年に一人の天才歌人だから、千年後に同レベルの天才が現れるという訳だ

    「君よ 死にたまうなかれ」の与謝野晶子が、その人だ

    第一歌集・「みだれ髪」は、まさに衝撃のデビュー作で、

    彼女が23歳の時、妻子持ちの男に対する恋心を歌いあげた激烈純情歌集!


    「やは肌の あつき血汐に ふれも見で さびしからずや。 道を説く君」


    抱いて欲しいのに、手をつけてくれくれないの?さみしいよぉ!理屈ばかり言うあなた

    (意訳・4句切れだぞ、この歌も)


    世間は大騒ぎになった。

    当時は文学が、今のテレビや映画やコミックみたいな位置にあったから、

    ほとんどの国民が、文学に興味を持っていた(民意が高かったという訳ではない)

    「何たる ふしだら 不道徳!」

    全国のマスコミ(男たち)は、いっせいに彼女を攻撃したんだ。

    だから、心ある人にも、ない人にも「みだれ髪」は買われていって、

    与謝野晶子の名前と作品は、全国に知れわたった。

    その3年後、さらに大きな論争が起きるんだ。

    ゴシップに煙っていた彼女の本質が、作品となって現れる。

    それが、有名な「君死にたまふことなかれ」だ。


    ああ、弟よ、君を泣く
    君死にたまふことなかれ

    末に生まれし君なれば
    親のなさけはまさりしも
    親は刃をにぎらせて
    人を殺せとおしえしや

    人を殺して死ねよとて
    二十四までを育てしや・・・


    男性は、本質的に臆病者が多い。

    この作品を発表したとき、与謝野晶子は死をも厭わぬ覚悟だったろう。


    「少女と申す者、たれも戦争ぎらいに候」

    女というものは
    誰でも戦争が嫌いです
    当節のように
    死ねよ死ねよと言い、
    また何事も
    忠臣愛国や教育勅語を
    持ち出して
    論じる事の流行こそ
    危険思想ではないかと考えます
    歌は歌です

    まことの心を歌わぬ歌に、
    なんの値打ちがあるでしょう

    ・・・・・・

    国家が大切だの、
    戦争がどうのと
    申しましても、
    女が人間を生むという
    この大役に
    優るものはなかろうと
    存じます。
    子を生むから汚らわしい、
    戦に出るから
    尊いというような
    偏頗な考えを
    男も女も持たぬように
    致したいと存じます。

    (ひらきぶみ 「明星」 明治37年)


    「まことの心を歌わぬ歌に、なんの値打ちがあるでしょう」

    恋や愛情を通して、女は思想を語っていく。

    「恋愛魂・玉砕精神・夢・愛・歓喜・人生・魅惑的かつ文学的」(エレファントカシマシ)

    この、迷いのない直訴は、上は天皇から下は万民に至るまでにしたものだと思う。

    彼女の作品もまた、千年の時を越えて読みつがれていくことだろう。



    (画は、PCが復帰してから掲載します)

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    近代文学 | コメント(0) | 2007/05/13(Sun) 16:04:20

    和泉式部日記・3

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    平安時代の女房は、

    天皇や太政大臣(おおきおおいどトカおおきおおいどのトカ読む・だいじょうだいじんとは読まなかった)、

    右大臣(みぎのおとど)左大臣の嫁さんの世話&雑用係。

    中学生や高校生ぐらいの嫁さんに使えていたお姉ちゃんたちである。

    (ロリコン王国やね、この国は)


    和泉式部は、亭主持ちだったが、

    人妻の身で、天皇と付き合っていた(!)

    そしてその後、天皇の息子の彼女になるんだ。

    これは穏やかじゃない。

    夫との仲は冷え切り、生活の面倒を見てもらっている父親(当時のしきたり)からも勘当されてしまう。


    あえて渦中の人となった和泉式部は、それでも恋に生きていたかったに違いない。

    だが、愛した為尊親王(ためたかのみこ)は、26歳の若さで亡くなってしまう。

    亡くなった天皇子息だから「故宮」と言っている。


    「夢よりもはかなき世の中を~」 世の中とは、世間の意味ではなく、男女の仲のこと。

    4月10日余日(うづきとおかあまり)とは、為尊親王の命日をさす。


    終わってしまった恋、元彼の命日・・・物思いにふけっている彼女のところに、

    小舎人童が新たな男のプレゼントを届けに来る。

    送り主は、またまた天皇の息子! なんと為尊親王の弟・帥宮敦道親王(そちのみやあつみちのみこ)からだった。

    和泉式部は、皇族にモテモテの才女だ。

    ちなみに、帥宮は大宰府の長官のこと(偉い国家公務員)。


    彼女が即興で作った和歌は

    「かをる香によそふるよりは、ほととぎす聞かばや。おなじ声やしたると」

    橘の香りで昔の人を偲ぶよりも、いまプレゼントをくれた貴方のことが知りたい。あの方に似てるの?

    下の句は、音で切れば七・七だが、意味で区切れば四・十だ。

    「かをる香によそふるよりは」という歌いだしがスゴい。

    さっきまで「あはれとながむ」んでいた和泉式部の熱情が、一気に動き出す。


    「まことの心を歌わぬ歌に、なんの値打ちがあるでしょう」


    これをきっかけに、再び周囲から白い目・興味本位の目で見られるような

    迫害・弾圧の恋の道を彼女は歩き出すんだ。

    新しい彼との、10ヶ月に及ぶ恋愛をつづったのが、この「和泉式部日記」。

    古典の「日記」は、今のブログと同じく、人に読んでもらうために書いていた。

    彼女は自分の本心を、いちばん誰にわかって欲しかったのか?

    「故宮」だろうな、やっぱり・・・なんて思ってしまうロマンティックな激烈恋愛ブログだ。



    授業や教科書ガイドでは、古典の本質がつかめないと思う。

    それに比べ図書館の「児童書コーナー」にある子供向け日本古典には優れたものが多い。

    (もちろんタレント・有名人が書いた、しょーもない本もある)

    経験から言えば、少女漫画作家の書いた物は、みな出来が良かった。

    漫画は、絵が好みじゃないないと読む気がしないだろうが、一読を薦める。


    ちなみに、この作品で「女」と出てきたら、和泉式部本人のこと。

    彼女のことだから、あの世で二人の親王と仲良くやっていることだろう。


    (画は、PCが復帰してから掲載します)

    /////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

    日記文学・平安 | コメント(0) | 2007/05/13(Sun) 15:58:43

    chiaki_kb13.jpg

    ネットカフェからです。

    昨夜、私より先にPCのほうが、クタバテしまいました><;

    和泉式部日記の、すこし詳しい解説を書いている途中の出来事でした。

    平常どおりの運行は、1週間後くらいです(っД<。)


     
    日記文学・平安 | コメント(0) | 2007/05/12(Sat) 16:20:05

    和泉式部日記2


    40309s4tged.jpg

    平安時代の一般人は、まだ竪穴式住居で暮らしていた。

    貴族は贅沢で華やかな生活をするため、一般人から税を搾り取っていたわけだ。

    20070510082255.jpg

    貴族とは、今風に言えば公務員のことで、「仕事」というものをしなかった。

    毎日、カラオケ(歌合や管弦の遊び)に明け暮れ、話題といえば、

    女と寝る事とファッションの事と人事異動の話だけしかしなかった。

    枕草子を一読すれば、よくわかるぞ(公立学校の教師は、枕草子の通読すらした事がない連

    中がゴロゴロいるから気をつけろ)

    96de1531.jpg

    誰だい?今も平安時代と同じだなんて思ったのは。

    u-imperial_seiryouden.jpg

    こんな腐敗した社会に中でも優れた文化が残ったのは、貴族のキャリア・ウーマンたちに才女が多かったからだろう。

    minami_yasikibu.jpg

    和泉式部は代表的な才女で、「千年にひとりの歌詠み」なんて言われる

    清・少納言とならんで、ぶっとびキャラの女房だった。

    4e260c45.jpg

    「女は男のオモチャ」が常識だった時代に、「近代的自我」みたいなものを持っていた。

    「私は恋に生きて、恋に死ぬ」

    そういう信念をもつ彼女の心をつづったのが「和泉式部日記」とも言えるだろう。

     
    日記文学・平安 | コメント(0) | 2007/05/10(Thu) 09:05:48

    和泉式部日記(いずみしきぶにき)

    100ryou.jpg

    四月十日あまり 和泉式部が亡き彼の思い出に耽っていると、

    元彼に仕えていた子どものパシリ(小舎人童子・主にメール配達係)がやって来た

    「今、貴方の元彼の弟に仕えていてるんですが、橘の花をあなたに届けて来いって言われ

    て・・・」 

    tachbana123.jpg

    「お返事お待ちしているそうです」

    img_0753_edited1.jpg

    そうかぁ。じゃあ「かをる香に よそふるよりはほととぎす 聞かおなじ声やしたる」

    って歌を届けてちょうだい。

    これがきっかけで、和泉式部と、そち飲み屋(師宮)の文通と恋愛が始まる。

    和泉式部日記の、冒頭部分だ。

    1108-05henly.jpg

    ところで、古文に出てくる「身分の低いもの」を、一般人だと思っている人が多い。

    ea9d8650.jpg

    マチガイの発信源は、教科書や教師や参考書だが、

    下衆の者・卑しき者(身分が低い人)とは、天皇の居間に上がれない下級貴族のことだ。

    農民は、犬ネコと同じ扱いだったのヨ。

    とりあえず、この事を頭にいれておこう。


    日記文学・平安 | コメント(0) | 2007/05/09(Wed) 16:41:12
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