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  • 古典・現代文を解りやすく解説してしまう、少し変なサイト

    ~ボツヂル古文・漢文・現代文~

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    「鴻門の会」・項羽と劉邦 『史記』より 1

      

    main-c05.jpg


    万里の長城を作った秦の始皇帝は、「北斗の拳」でいえば、

    ラオウのような恐怖政治で中国全土を支配した人物だった。

    人民を治めるために、人民が震えあがるような刑罰を行使した。

    書物は焼き払う法律を作り、政治に口出しする460余人の学者を生き埋めにした。


    その始皇帝の天下は、あっけなく終わり、

    次に天下を取る者の攻防が繰り広げられていた時代に出た二人のヒーローが項羽と劉邦だ。

    西洋では、ローマ帝国がマケドニアやカルタゴと激しく争っていた紀元前の物語である。


    大本命は楚の国の項羽であった。

    劉邦は、離れた2番手でしかなかった。

    「鴻門の会」の時の軍勢は、項羽軍40万に対し、劉邦軍は10万。

    ところが、様々な「運」だとか「二人の性格」が絡み合い、

    まるで、天が項羽を退け、劉邦を選んだような結末になっていくのである。


    さて、始皇帝亡き後の秦国を制圧するには、

    函谷関(かんこくいかん・軍事上の重要な関所)を占領する必要があった。

    項羽より先に、函谷関を占領してしまった劉邦は内部の裏切り者(曹無傷)に

    「劉邦は、関中の王になるつもりだ」と讒言される。

    怒った項羽は、劉邦の軍を撃とうとする。


    そこで、劉邦の参謀(戦の作戦を作る人)である張良(中国史上最高の天才軍師)は、

    「劉邦は、関中に乗り込んで、項羽将軍をお待ちしていたのです。

    函谷関を守備させたのは、他の盗人の出入りを防ぐためでした。」

    という仲直りの飲み会を企画した。

    これが「鴻門の会」だ。


    項羽の参謀であった范増(はんぞう・亜父とは父に次ぐほど尊敬に値する人の意)とて天才である。

    張良の作戦も劉邦の資質も見抜き、宴会の席で劉邦を殺してしまえと項羽に三度合図するが

    まぁ、いいではないかと、余裕しゃくしゃくの項羽は応じない!

    そうこうしているうちに、劉邦のボディーガード樊噲(はんかい)はやって来るし、

    肝心の劉邦は、便所に行くと言って席を立ち、そのまま無事に帰ってしまった(これも張良の作戦)


    0119_thumb.jpg


    なぜ、「鴻門の会」が重要な出来事なのかといえば、

    ここに二人の運命を左右する予兆が書かれているからだ。

    簡単に言えば、項羽は自分の力を過信しすぎた。

    それに対して劉邦は、情けないと思えるくらい張良の案に従う。

    「自分を過信した人間」と「衆知を集めた人間」の差を、史記の著者・司馬遷は克明に語っていく。


    劉邦が帰ってしまった後、范増は怒りをあらわにして、

    おきみやげの玉斗(酒をすくう杓子)を剣で突き割り、

    「ええい、青二才め。いっしょにやっておれんわ!・・・わしらは、やがて奴の捕虜になるだろう」と吐き捨てた。

    剣舞をした項荘の失敗を、なじるかたちで項羽を非難したセリフと言われている。

    范増は、こののち、項羽のもとを去る。

    後に「四面楚歌」の舞台になる垓下に立てこもった時には、

    項羽の軍は、わずか11万だけになってしまうのである。


    ////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
    中国の思想・歴史書 | コメント(1) | 2007/05/25(Fri) 17:10:07

    『土佐日記』 ・ 「門出」


    99010358.jpg



    『土佐日記』 を理解するにはコツがいる。

    ひとつ目は、平安前期には、まだ「かな文字文芸」が認められていなかったため、

    紀貫之はギャグを連発し、茶番劇を装ってリリースしたということ。

    これが分かっていないと、冒頭から読み間違う。


    「おとこの人も書くトカ聞いてる(かな書きの)日記というものを(ゲラゲラ)

    おんなも、やってみようと思って、やるんだよ(ゲラゲラ)」

    この書き出しの構想には、ずいぶん苦労したと思う。

    普通なら男子たるものが、日記を仮名書きで書くというだけで眉をひそめられた時代である。

    どうしたら、批判をかわして受け入れられるのか。

    貫之は、ギャグを使うことにした。

    そして、成功するのである。


    「古今集の編集長は、お笑い系の人だったんだ~」

    はじめは、それだけの認識しか、なされなかったかも知れない。

    だが貫之の英断は、のちの「蜻蛉日記」や「和泉式部日記」を生む土壌を作っていくことになる。


    二つ目は、ギャグ日記の体裁を取りながらも、『土佐日記』の中軸を成しているのは、

    出張先の土佐で亡くした女児を想う気持ちだという事。

    当時の常識では、男が書くべき内容ではない。

    この無常観は、のちに「もののあはれ」となって『源氏物語』で大輪となって花開く。


    sloopy028.jpg


    さて、本文を少し読んでみよう。


    「それの年の師走のはつか余り、ひとひの日の戌の時(夜の8時)に門出す」


    出発したのは、夜8時、オカシイと思った人は気が利いている。

    電灯もなく、夜行バスもないのに、何が悲しくて冬の夜に出発しなければなかっったのか?

    そう、これは「方違へ」(かたたがえ)といって、出先が不吉な方角に当たる場合、

    仮の宿で一泊して方角を変え、あらためて朝に出発しなおす当時の習わしだ。

    たいがいは、近場の女ともだちの家に泊まった。


    「・・・はつかあまりふつか、和泉の国までと、平らかに願立つ」

    旅の無事を神様に祈願しているんだが、通過点の和泉の国までしかしていない。

    これは神様には、もともと「なわばり」があって、海の神・安産の神・受験の神と、

    用途に合わせて別々に祈願するという理由から。


    「藤原のときざね、船路なれど、むまのはなむけす(ゲラゲラ)」


    船旅で、馬に乗らないのに、馬の鼻向け(餞別)をしてくれた、というオヤジギャグ。

    これから沢山でてくるギャグにとらわれると、土佐日記の本質を見失うぞ。


    「・・・潮海のほとりにて、あざれあへり(ゲラゲラ)」


    「あざる」は掛詞で、「ふざける」と「腐る」の意味がある。

    「海のほとりで、(防腐剤の塩があるのに)腐って、ふざけあっている」と訳せばいい。


    短い冒頭の文だけでも、当時のしきたりや貴族の暮らしがよく分かる。

    古典を読むには、知識だけではダメで、想像力がものを言う。

    誰かが転勤するとなると、知らない人までやって来て大騒ぎする。


    上流貴族(大臣クラスと中納言まで)

    中流貴族(大弁・中弁・少弁と少納言まで) 読み方は各自工夫して読んでくれ。

    ちなみに中弁は「ちゅうべん」と読む。

    ココまでが「殿上の間」(でんじょうのま・天皇のリビングルーム)に入れる貴族だ。


    ついでに言っておくが『枕草子』を書いた「清少納言」の位は「少納言」ではない。

    「少納言をしている清さんの奥さん」という意味で「清・少納言」と呼ばれていただけだ。

    当時の女性の呼び名は、そんなものだった。


    下級貴族とは六位以下で、殿上の間に上がれない連中のこと。

    蔵人(くろうど)だけは、天皇の付き人係りなので、例外的に殿上人だが、

    「あやし」「いやし」「いふかいなし」の下衆の者といわれるのが、このクラス。

    これら身分の上中下すべての者が酔っ払って、じゃれあい、まことに見苦しい送別会をしたわけだ。

    まあ、古今東西の貴族(金と権力を持った俗人)は、みな似たような行動をする。


    ////////////////////////////////////////////////////////////////////////


    文法上のポイント

    助動詞には、ふたつの「なり」があって、よくテストで問われる。

    「男もすなる」・・・伝聞・推定の「なり」と、

    「してみむとてするなり」・・・断定の「なり」だ。

    見分け方は、上にある言葉でする。

    どちらもサ変動詞の「す」が上にあるけども、

    終止形の「す」の下には伝聞・推定の「なり」が来る。

    連体形の「する」の下には断定の「なり」が来る。

    覚え方は、「終・伝・ナリ」と「体・断・ナリ」と暗記すればいい。

    ただし、ラ変動詞の連体形が上に来たときは例外で、

    伝聞・推定の「なり」になる事も、余裕があれば覚えておこう。


    //////////////////////////////////////////////////////////////////
    日記文学・平安 | コメント(3) | 2007/05/22(Tue) 23:28:03

    古今集の和歌あれこれ

     
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    //////////////////////////////////////////////////////////////////


    とりあえず、訳・鑑賞・解説してみよう。


    「世の中に 絶えて桜のなかりせば、春の心は のどけからまし。」 在原業平(ありわらのなりひら)


    (口語訳) 世の中に、まったく桜が無かったら、春の心は、のどかであったろうにね。

    (鑑賞) せっかく咲いた桜の花が、散ってしまうのが気がかりで、春の人の心は忙しない。
    いっそのこと、桜が全くなかったら、春はのどかだったのになぁ。
    と言いながら、春のいちばん気になる風物・桜の花を称えた歌。

    (解説) 作者の在原業平は、「昔、男ありけり~」で始まる『伊勢物語』の主人公ではな


    「えっ?」と思った人も多いだろうが、
    『伊勢物語』は業平とは無関係の創作だというのが古文研究の定説になっている。

    和歌の意味を考えるときは、一応「歌合・うたあわせ」をイメージしておいた方がいい。
    ほとんどの和歌は、単独で作られたものではなく、歌遊びの例会の席上で「前の人の歌」を受けて作っていく。
    だからこの和歌は、「桜の花が散ることに、心が落ち着かない」みたいな歌を受けて作ったものと想像できる。

    31音の中に「の」を4回も使った業平の本心は何だろう。
    桜が散っても「のどかな春」を強調したかったのかも知れない。

    (文法事項) 「せば~まし」・よく問われる反実仮想の表現。
    型どおり「もし~だったら~だったろうに」と訳してしまえばいい。


    「ひさかたの 光のどけき 春の日に、しず心なく 花の散るらん」 紀友則(きのとものり)


    (口語訳) 光がのどかな春の日に、(どうして)落ち着いた心もなく花は散っているのだろうか。

    (鑑賞) 春の、のどかな日差しの中で、どうして桜のは、はらはらと花びらをちらすのだろうか。

    (解説) これも「の」を4つ使っている。
    業平の歌と並べると、「の」x4効果をイメージできるだろうか?
    古今集で、ただ「花」と出てきたら「桜の花」、「花の香・匂い」なら「梅の花」と覚えてしまえばいい。

    (文法事項) 「ひさかたの」は、「光」にかかる枕詞。
    枕詞の見分け方は「無くても意味が通じる5文字のコトバ」でかまわない。
    枕詞は、訳さない。
    基本的に初句にある。
    いちいち覚える必要は無いぞ。感覚で判るようになってくる。

    「らん」は現在推量・連体形。
    表記は「らむ」なので、そのまま「RAMU」と発音するショウモナイ教師陣が多いが、
    マネしないように。


    「五月(さつき)待つ 花たちばなの 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする」(詠み人知らず)


    (口語訳) 五月を待って咲く橘の花の香りをかぐと、昔親しかった人の 袖の香りがする。

    (鑑賞) 上のとおり。名作ですね。
    誰もが「自分の気持ちを歌っている」と感じ入るるものを、名作と呼ぶ。

    (解説) 「詠み人知らず」とは、誰の歌か判らないの意味ではなく、「殿堂入り」の名作と考えた方がいい。
    「詠み人知らず」と評価される歌を詠むことは、今でも歌人の憧れである。

    アロマは、平安時代の常識で、焚き込めた香の匂いイコールその人のアイデンティティーでもあった。
    以前、家に行くと、いつも香を焚いて歓迎してくれた女性がいて、
    その時は「へぇ~」っていうカンジだけだったんだが、
    会えなくなってからは、同じ香りに出会うたび、胸がきゅーっとなる(;;)
    今でも、その香のにおいをかぐと彼女のことを思い出すのだから、この歌の想いはよくわかる。

    古典の解釈には5感を大いに働かせることが大切だ。


    「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども、風の音にぞ おどろかれぬる。」 藤原敏行(ふじわらのとしゆき)


    (口語訳) 秋が来たと、目にははっきりと見えないけれど、風の音で自然と気が付いた。

    (鑑賞) 夏の終わりを、風の音で、ついつい感じてしまった藤原敏行だ。
    この歌の要は、結句の「おどろかれぬる」。
    「おどろく」は「はっと気づく」の意。
    「れ」は、ここでは自発の意味になるので、「自然に」トカ「ついつい~」と訳さないと点を取れない。

    この和歌を昭和風散文詩に展開すれば「ちいさい秋みつけた」という童謡が出来たりする。

    (解説) 古今集をひと言でいうと「季節の細やかな移り変わりを和歌で表現したもの」と言える。
    恋の歌よりも、季節や自然に重きがある。

    「古今集の特徴・技巧的、優雅、理知、観念、たおやめぶり」と覚えても、
    テストでゴミのような点数を取ること以外には役に立たないだろう。
    古今集の通読すらした事のないベテラン教師連中が、講義をし、
    テスト問題を作っている(コピペしている)教育界・受験産業界の現実を、
    若い君たちは、ゆめゆめ忘れてはならない。

    だから、自主学習なしに、国語力が身につく訳がない。
    文学作品は、もっと、自分の感覚を信じて、ストレートに受け止めた方が面白いし、後から役に立つ。
    初めは間違った解釈をしていても、やがて正しい解釈が出来るようになる。
    その方が、結局は自分のためになるんだ。

    (文法事項) 「る・らる」には「受身・尊敬・自発・可能」の4種がある。
    「自発」の見分け方はカンタンだ。
    「心情表現」が一緒にあったら、自発にとればいい。
    ここでは「おどろく」が心情語。

    係り結びは、4句目の「ぞ」を受けて結句が「ぬる」という連体形になっている。


    「きりぎりす いたくな鳴きそ。秋の夜の ながき思いは 我ぞまされる。」 藤原忠房(ふじわらのただふさ)


    (口語訳) こおろぎさん、そんなに鳴かないで。秋の夜の、長い嘆きは私の方が深いのだから。

    (鑑賞) 秋の夜長に、好きな人のことを思っている。
    話したい・・・あなたは今、何をしてるの?
    そばにいたい・・・あなたは今、誰と一緒にいるの?
    悲しんでいるうちに虫の声も小さくなった。もう夜明けが近いよ。

    スピードの名曲「熱帯夜」の男性バージョンだね。
    こっちの方が1000年前なんだけど。

    (解説) 2句切れのほかは特になし。わかりやすい歌だ。

    (文法事項) 2句目「な鳴きそ」は「な~そ」で、「~するな」の意味になる。
    訳は、そのまま「鳴くな」とすればいい。

    「な~そ」や「せば~まし」の「な」・「せば」などを「呼応の副詞」と呼ぶ。
    入試必修項目事項なので、絶対忘れないように。


    「花の色は うつりにけりな。いたずらに わが身世にふる ながめせし間に。」 小野小町


    (口語訳) 花の美しさは、あせてしまったなぁ。
    むなしい長雨が降り続いていた間に、恋愛にかまけてもの思いに耽っているうちに。」

    (鑑賞) 花の色=女性の美貌・作者のいちばんキレイだった時
    むなしい長雨は、実らなかった恋とも、つまらなかった男との恋とも取れる。

    (解説) 4句目の「ふる」は「経る」と「降る」の、結句の「ながめ」が「眺め」と「長雨」の掛詞。
    同時に、「降る」と「長雨」が縁語になっている。

    この歌を引き合いに出して「古今集は技巧的でうんぬん」と解説されることが多いが、
    小野小町は、技巧を振りかざしたくてこの歌を詠んだのではあるまい。


    (文法事項) 掛詞が入ってきた時の訳し方は、両方とも分かるように訳さなくてはならない。
    「一人で、どんべえ、すすり泣き」という文でも、
    「ひとりで、どんべいを啜りながら、すすり泣きをする」と、いちいち訳さなくてはならない。
    古文の掟みたいなものだから、割りきった方がいいぞ。

     
    日記文学・平安 | コメント(2) | 2007/05/16(Wed) 20:49:22

    古今集と紀貫之  

    ////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

    kuriyama_c30006.jpg


    古今集・かな文学に生涯を捧げた紀貫之


    女性が平安の文学を支えたと書いたが、

    その源動力になったのは、紀貫之の「かな文字大運動」だった。

    日本語の恩人である。


    最近ようやくテキストが学校で使われるテキストにも、万葉がなが載るようになったので

    知っている人も多くなった。

    暴走族が使う「死苦夜露」のような「当て字」が万葉仮名だ~(爆)

    当時の日本語には、文字がなかったので、中国文字を使っていた。

    だから、「万葉集」は、唐風文化であり、国風文化ではない。


    「ひらがな」とは、この中国文字を崩して簡単にしたもので、

    「女の使うレベルの低い、卑しい文字」とされてきた。

    日本社会では江戸時代の終わりまで「学問」といえば、漢学・漢文学のことだったのである。


    ところが紀貫之は、「ひらがな」が素晴らしいものに思えてしょうがなかった。

    和歌を「ひらがな」で書いたら、日本独自のものが出来るにちがいない。

    日記を「ひらがな」で表現すれば、世界がどんどん広がっていくにちがいない。


    貫之は、画期的な前衛文学日記を、ひらがなで書いた。

    それが「土佐日記」だが、その話は、あとで書く。


    「古今集」は、天皇の命令で作られた和歌集である。

    勅撰和歌集の「勅」とは、天皇の命令のことだ。

    史上初の勅撰和歌集を、編集長であった紀貫之は、ひらがなで作ってしまう。

    想像を絶した労苦が幾つもあったにちがいない。


    だから「古今集」には序文が2種類ある

    通称、真名序と仮名序。真名序は、漢文の序文だ。

    仮名序は、もちろん貫之が書いた。

    たいへんな名文なので、中高生の皆には是非読んで欲しい。


    「古今集」は、微妙な四季の移り変わりを楽しむように、歌が配列されているんだ。



    //////////////////////////////////////////////////////////////////


    日記文学・平安 | コメント(0) | 2007/05/16(Wed) 20:47:31

    与謝野晶子について

     
    bousi7512.jpg


    ////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////


    さて、和泉式部は千年に一人の天才歌人だから、千年後に同レベルの天才が現れるという訳だ

    「君よ 死にたまうなかれ」の与謝野晶子が、その人だ

    第一歌集・「みだれ髪」は、まさに衝撃のデビュー作で、

    彼女が23歳の時、妻子持ちの男に対する恋心を歌いあげた激烈純情歌集!


    「やは肌の あつき血汐に ふれも見で さびしからずや。 道を説く君」


    抱いて欲しいのに、手をつけてくれくれないの?さみしいよぉ!理屈ばかり言うあなた

    (意訳・4句切れだぞ、この歌も)


    世間は大騒ぎになった。

    当時は文学が、今のテレビや映画やコミックみたいな位置にあったから、

    ほとんどの国民が、文学に興味を持っていた(民意が高かったという訳ではない)

    「何たる ふしだら 不道徳!」

    全国のマスコミ(男たち)は、いっせいに彼女を攻撃したんだ。

    だから、心ある人にも、ない人にも「みだれ髪」は買われていって、

    与謝野晶子の名前と作品は、全国に知れわたった。

    その3年後、さらに大きな論争が起きるんだ。

    ゴシップに煙っていた彼女の本質が、作品となって現れる。

    それが、有名な「君死にたまふことなかれ」だ。


    ああ、弟よ、君を泣く
    君死にたまふことなかれ

    末に生まれし君なれば
    親のなさけはまさりしも
    親は刃をにぎらせて
    人を殺せとおしえしや

    人を殺して死ねよとて
    二十四までを育てしや・・・


    男性は、本質的に臆病者が多い。

    この作品を発表したとき、与謝野晶子は死をも厭わぬ覚悟だったろう。


    「少女と申す者、たれも戦争ぎらいに候」

    女というものは
    誰でも戦争が嫌いです
    当節のように
    死ねよ死ねよと言い、
    また何事も
    忠臣愛国や教育勅語を
    持ち出して
    論じる事の流行こそ
    危険思想ではないかと考えます
    歌は歌です

    まことの心を歌わぬ歌に、
    なんの値打ちがあるでしょう

    ・・・・・・

    国家が大切だの、
    戦争がどうのと
    申しましても、
    女が人間を生むという
    この大役に
    優るものはなかろうと
    存じます。
    子を生むから汚らわしい、
    戦に出るから
    尊いというような
    偏頗な考えを
    男も女も持たぬように
    致したいと存じます。

    (ひらきぶみ 「明星」 明治37年)


    「まことの心を歌わぬ歌に、なんの値打ちがあるでしょう」

    恋や愛情を通して、女は思想を語っていく。

    「恋愛魂・玉砕精神・夢・愛・歓喜・人生・魅惑的かつ文学的」(エレファントカシマシ)

    この、迷いのない直訴は、上は天皇から下は万民に至るまでにしたものだと思う。

    彼女の作品もまた、千年の時を越えて読みつがれていくことだろう。



    (画は、PCが復帰してから掲載します)

    ////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
    近代文学 | コメント(0) | 2007/05/13(Sun) 16:04:20
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